人跡未踏の秘境に世紀の難工事、黒部川第四発電所「くろよん」建設を決断した太田垣士郎 (関西電力社長)

太田垣士郎は、兵庫県城崎郡豊岡市生まれ。1951年、関西電力の初代社長に就任した。1950年代になり、関西地域の電力事情が逼迫する状況を目の当たりにした太田垣が、手がけたのが世紀の難工事といわれた富山県の黒部川第四発電所「くろよん」の建設である。
太田垣は「経営者が十割の自信をもって取りかかる事業、そんなものは仕事のうちには入らない。七割成功の見通しがあったら勇断をもって実行する。それでなければ本当の事業はやれるもんじゃない。黒部は是非とも開発しなけりゃならん山だ」と言って決断した。
「くろよん」の総工費は建設当時の費用で513億円(関電資本金の5倍)で、作業員延べ人数は1,000万人、殉職者は171人にも及んだ。「くろよん」は、1961年1月15日発電開始し、最大出力33.5万kW(建設当時25.8万kW)、使用水量72.0m3/s、有効落差545.5mである。
太田垣士郎は、1964年3月16日、自ら建設を決断した「くろよん」の完成の翌年に70歳で逝去した。
【参考文献】
〇フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/太田垣士郎
https://ja.wikipedia.org/wiki/黒部川第四発電所
https://ja.wikipedia.org/wiki/黒部ダム
〇関西電力ホームページ
https://www.kepco.co.jp/sp/corporate/profile/community/pr/kurobe/kuroyon.html
【写真】平成30年8月投稿者が撮影

#電力土木

投稿日時 2018-12-15 18:28:00

投稿:佐藤祐明