優れた土木技術者・測量士そして探検家である間宮林蔵を育んだ小貝川と岡堰

 間宮 林蔵(まみや りんぞう)は、江戸時代後期の樺太(サハリン)が島であること確認し、間宮海峡を発見した探検家として有名であるが、優れた土木技術者・測量士でもあった。
 現在の茨城県つくばみらい市の小貝川のほとりに農民の子として林蔵は生まれた。当時幕府は、利根川東遷事業を行っており、小貝川で堰(三大堰のひとつ岡堰)の普請を行っていた。この普請に加わった林蔵は、幕府に地理や算術の才能を見込まれ下役人となった。
 林蔵は伊能忠敬に測量技術を学び、享和3年(1803年)、西蝦夷地(日本海岸、オホーツク海岸)を測量し、地図を作製した。 その後、文化5年(1808年)、幕府の命により樺太の探索を開始し、樺太が島であることを確認し、文化8年、江戸に赴いて地図と『東韃地方紀行』、『北夷分界余話』を幕府に提出した。
 江戸において林蔵は、伊能忠敬より測量技術を教授し、大日本沿海輿地全図の蝦夷以北の地図は、忠敬と林蔵の測量図を合体させたものといわれている。

【参考】フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』間宮林蔵
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%93%E5%AE%AE%E6%9E%97%E8%94%B5

投稿日時 2018-11-19 21:23:00

投稿:佐藤祐明